publicとpolicyとpowerと

技術と政治について書いていきます

エンジニアが公共の世界で出来ること

「エンジニアが公共の世界で出来ること」はたくさんあると、今日もエンジニアの方と盛り上がりました。
 
 その理由は、そもそも公共と技術は遠い存在で、むしろ相反するものとして捉えられて来たこと。結果として、公共に技術者の方々が入ってくることが少なかったことが、挙げられます。そのため、公共の方々の能力ではなく構造的に非効率が存在し続ける状況になっています。
 そして公共の中でも、行政ではなく、政治の領域には、いまこの瞬間に技術で解決できる課題が多くあり、それはその政治家という一個人の喜びに直結するということです。
 
 具体的には、当事者である政治家の時間・時間あたりの生産性・彼らが存在する仕事の大きなプロセスの3つにそれぞれ非効率が存在します。
 
例えば、政治家の時間は多くのアポで占められます。そしてその分野が多岐に渡るのです。そのアポの中には重要なもの、重要ではないものが、玉石混淆で、それ自体が、時間自体の質を押し下げています。
 
 その上で、時間があたりの生産性も低いです。それは繰り返しですが、能力の問題ではなく、構造の問題です。政策的なものから、庶務的なものまで、使う頭が抽象と具体で混ぜこぜ、また参加する会議自体の議題設定自体が甘く、結果、会議自体の生産性が低い、という状況です。
 
更には、そもそも彼らが存在する仕事の大きな行政・政治プロセス自体が、効率的ではありません。
それは政治という文脈でやむを得ない調整コストがある一方、慣習として非効率も存在します。
 
そんな状況なので、ひとたび業務効率の観点でエンジニアの方がこの世界を見つめると、解決の種がめちゃくちゃある、ということになるのです。
 
 公共とエンジニアといえば、シビックテックという言葉が有名ですが、その対象は行政であることがほとんどで、それ自体も価値がありますが、行政は大きな組織構造なので変化に時間が掛かります。
 
一方、政治家は個人事業主なので、全体を変えることはすぐには難しくても、いまこの瞬間にエンジニアの力を通じて、何らかの業務を効率化することは可能で、そのことで泣いて喜ばれます。(エンジニアではないわたしが、業務効率を何らかの既存ツールを用いて改善するだけで泣いて喜ばれるので、本当です。)
 
結果として、それが社会に与える影響・・・という目線からも広がりはあるのですが、それは現段階はさておいた上でも解決できる非効率が存在して、実は素直な方も多い政治家の方に対して、エンジニアの力を持って貢献する。結果、その個人に泣いて喜ばれる。そんな世界がすぐそこに広がっています。
 
 エンジニアの皆さん、敬遠されがちな公共の世界、ぜひ足を踏み入れてみませんか・・・?